カオナビHRテクノロジー総研調査レポートREPORT

2020.03.18
調査

最新のHRテクノロジー『ナッジエンジン』は 社員の良きパートナーになれるのか?

「ナッジエンジン」という言葉、耳にしたことはあるでしょうか?ひょっとすると、「ナッジは聞いたことあるけど、ナッジエンジンは知らないな」という方もいらっしゃるかもしれません。「ナッジエンジン」とは、従業員のデータを分析し、行動の変容を促すヒントやアドバイス、提案などを従業員に、高頻度で提供するシステムのことを指します。アメリカでは注目が集まりつつある「ナッジエンジン」について、どのようなもので、何が実現できるのか、日本で普及はしそうか、そして普及の壁は何か、以下で考察していきたいと思います。

そもそも「ナッジ」とは?

「ナッジ(nudge)」とは直訳すると、「ヒジで軽く突く」という意味です。何か行動を促したり、あるいはそそのかしたりするときに「ヒジで軽く相手を突く」シーン。実際の生活では意外としないかもしれませんが、想像はできるかと思います。そのような本来の意味から派生して、「小さなきっかけを与えて、人々の行動を変えること」を、「ナッジ」もしくは「ナッジする」と表現するようになりました。

 

「ナッジ」という概念は、ハーバード大学のキャス・サンスティーン教授とシカゴ大学のリチャード・セイラー教授の2008年の共著『Nudge: Improving Decisions about Health, Wealth, and Happiness』(邦訳『実践 行動経済学』)から、行動経済学の分野で注目され始めます。ちなみにセイラー氏はこの「ナッジ理論」の功績から、2017年にはノーベル経済学賞も受賞しています。

 

現在では、マーケティング戦略や公共政策など幅広い分野で「ナッジ理論」は使われています。日常の中で、みなさんも無意識に「ナッジ理論」に触れているはずです。例えば、ECサイトを利用する際に、閲覧中のページや過去の購入履歴などから「おすすめ商品」が表示されることも、ナッジが利用された仕組みといえるでしょう。

ナッジエンジンで実現できること

このような「ナッジ」の概念を人事領域で活用し、従業員の行動変容を促すメッセージを送るシステムが「ナッジエンジン」です。では、このナッジエンジンを使って、どのようなことができるようになるでしょうか?

 

まず真っ先に考えられることとしては、現在実施されている研修の一部が、ナッジエンジンのサポートによる現場での学びに置き換えられるということです。日常の業務の中で頻度高く、従業員はメッセージを受け取ることになるため、従来の研修でありがちな「やりっぱなし」を防ぎ、行動変容が起こる確率や深さで効果があると想定されます。またそれは、研修の実施状況や企業規模にもよりますが、人事部門にとっては教育研修費の節約になり、現場の従業員にとっては時間の節約につながるでしょう。

 

さらに少し異なる視点から言えるのは、従業員サーベイの補完をナッジエンジンが担えるということです。従業員サーベイの限界は、「従業員や組織がどんな状態なのか」まではわかっても、「その状態に対して、何をすればよいか」まではわからない、というところです。ナッジエンジンは「ネクストアクション(何をすればよいか)」まで提案してくれるため、何をするべきかの意思決定コストは下がり、行動を変えるまでの時間が短縮されることは、容易に想像がつくでしょう。

ナッジエンジンのパイオニア Humu

そんなナッジエンジンの技術を根幹においたHR系のプロダクトの一つに、Humuがあります。Humuを開発・販売する会社は同様に、Humuという社名のカリフォルニアのスタートアップ企業です。CEOは、Google社の人事トップを10年以上務めたラズロ・ボック氏。彼の著書である『ワーク・ルールズ!―君の生き方とリーダーシップを変える』を読んだことがある方もいらっしゃるかもしれません。彼はGoogle社や、それ以前のGE社での経験などから、人事もより戦略性を持ち、生産性に寄与できるという思いを強くします。また従業員のパフォーマンスと幸福度、どちらも大きく伸ばしたいと考える際に取りうる方策として、比較的安価にできるものがテクノロジーの活用であると考え、Google時代の同僚とともにHumuをつくり上げました。

 

Humuは当然のことながら、Humu社内でも活用されています。
「明確な基準を設けましょう。なぜ、そしてどのように、あなたがその意思決定をしているのかを明確にしましょう。」
これは、従業員に会社の意思決定をよりよく説明するために、ボック氏自らがHumuから受け取ったナッジの一つです。Humuは、その人の役割や役職、これまでの経験などに基づいて、その人に大きなインパクトを与える行動を診断し、提案します。

<Humu社ブログから プロダクトのイメージ>

 

さらにHumuの特徴的なコンセプトの一つに「全方位からナッジする」というものがあります。つまり、誰かの行動を変容させようと考えるときに、その人だけにナッジを送付するのではなく、その周囲の人にもナッジを送付して、その人が変化する機会をつくり出すということです。例えばミーティングの前に、ある人は「最初の10分間、自分の意見を話してみましょう」というナッジを受け取ります。そして、同じミーティングの別の出席者は「黙っている人たちに意見を聞くようにしましょう」というナッジを受け取ります。このように、意見を言うという個人の行動変容を、本人も含めて複数の人の行動をナッジすることでつくりあげようとしているのです。

日本における「ナッジエンジン」の未来は?

日本においても、数は多くないものの、「KAKEAI」や「HiManager」といったナッジエンジンに近い発想のプロダクトが生まれています。現在は、主にマネージャー層が部下と関わる際の行動をサポートするために利用されているケースがほとんどです。つまり1on1や目標設定面談の支援機能を、それらのプロダクトは担っています。

 

<HiManager社Webサイトから 送付されるナッジのイメージ>

マネージャーの、特にミドルマネージャーの人材育成力や人材マネジメント力の向上という課題は、今に始まったことではなく、いつの時代にもよく耳にする課題です。しかしながら、働き方改革やダイバーシティ&インクルージョンの文脈で、部下の働き方や考え方の多様性は増し、難易度も増す一方です。育成やマネジメントの在り方を部下に合わせて変化させる必要がある、ということは自明であり、その最前線にいるミドルマネージャーこそ、その必要性を日々痛感しているものだと思います。しかしながら「必要なのはわかったけど、結局どうすればいいの?」と、内心思っている方も多いのではないでしょうか。そこにナッジエンジンは、明確なネクストアクションを提示します。

 

また人材マネジメントは元来「正解」がなく、個別性が高いものです。理論や知見に基づいて部下にコミュニケーションをしたとしても、相手の反応やそのあとの行動、あるいは自分のコミュニケーションのやり方やその時自分が考えたことなど、実際の経験を振り返り、その学びをもとに自分の行動を小さく変えてみる、そのような繰り返しでブラッシュアップされるものです。ナッジエンジンは、現場での1on1や面談のタイミングに合わせて「小さな行動変容」を促すナッジを送ってくれるという意味で、ミドルマネージャーのパーソナルコーチのような伴走者になることができる可能性を秘めています。

 

どんなことにも基礎的なインプットは必要となるため、社内教育のすべてがナッジエンジンに代替されることは、すぐにはないと思われます。しかしながら、研修という非日常の機会と、ナッジエンジンのような日常に埋め込まれたテクノロジーを組み合わせることで、より効果的に、より敏しょうに、社員の行動変容が達成される未来が来るかもしれません。長期的には、マイクロラーニングのようなe-learningとナッジエンジンを組み合わせ、実地研修が不要となる学習の在り方の実現も、期待がされるところです。

ナッジエンジンの普及における壁は何か

ポテンシャルを秘めたナッジエンジンですが、普及の壁になるのはどのようなことでしょうか。

 

一つ目に考えられる壁は、一言でいえば「『無』からは何も出てこない」ということでしょう。これは実際的な問題として、「もととなるパーソナルデータ」がなければ、ナッジエンジンもネクストアクションの提案ができないということです。つまり、タレントマネジメントシステムの導入やパルスサーベイの実施がされていることや、メール・社内SNSなどのオンラインコミュニケーションのデータを蓄積する仕組みがあることが、ナッジエンジンを使い始める前提であり、またナッジを改善し続ける前提となります。

 

二つ目に考えられる壁は、一変して感覚的な問題で、「ナッジエンジンやナッジに対して抱く感情」の問題です。ナッジエンジンやナッジという概念について、「役に立ちそう」「便利そう」という思いを抱く部分がありつつ、「自分がコントロールされる感じがして、少し怖い」と思う部分がある方もいらっしゃるかもしれません。またナッジエンジンに限りませんが、AI(人口知能)は「人間にできないことをしてくれる」という期待とともに、「仕事を取って代わられる」という危機感もセットでよく語られます。マクロミル社が実施した調査では、「自分の現在の仕事がAIに取って代わられると思うか」という質問に対し、全体で「はい」は39.6%、30代では46.2%と年代別では最も高く、現在もしくは今後マネージャーを担うと思われる層で危機感が高いようです。ナッジエンジンを導入し活用することを狙うときには、現場で実際にメッセージを送られるユーザーに、具体的にイメージを伝えることもポイントになるでしょう。恐らく、実際に送られるメッセージを見れば「コントロールされる」「仕事が奪われる」といった懸念は、払拭されるのではないかと思われます。(深読みすれば、「そのような簡単なメッセージに自分の行動がナッジされてしまうなんて怖い…」と思う方もいるかもしれませんが)

 

このように障壁は想定されるものの、ナッジエンジンは「ネクストアクションを」「適切なタイミングで」提案し、従業員に個別性の高い支援を提供するパワフルなパートナーになり得ます。ユーザーが人事パーソンだけでなく従業員全員が対象となり得るという意味で、また実際の効果が実感しやすいという意味で、ナッジエンジンはHRテックの中でも、人事に閉じず組織全体に影響力を広く、大きく持つようなツールになっていくかもしれません。

 

出 典
Humu社 webサイト
KAKEAI社 webサイト
HiManager社 webサイト
JOSH BERSIN ARTICLES内記事 “Employee Engagement 3.0: Humu Launches Nudge Engine”
The wall street journal内記事 ” Laszlo Bock Thinks Machine Learning Can Make Work Better”
HoNote内調査 “AI(人工知能)に対するイメージ調査。「期待」の一方で、「親しみがない」?”

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